速くなることは素晴らしいことだけど速い人が偉いわけではない
ランナーの多くは「もっと速く走れるようになりたい」という思いを抱えています。それ自体は素晴らしいことですが、時としてタイム至上主義のようなランナーに育ってしまい、周りから疎まれる存在になることも珍しくありません。
公園のランニングコースや陸上トラックなどで、ゆっくり走っているランナーに対してきつい言葉を吐き捨てるようなランナーもいて、これではいくら速く走れても尊敬されることはありません。むしろ孤立をしていくだけでランニングが虚しいものになります。
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スピードは個性でしかない
過去の自分よりも速く走れるようになることは、とても素晴らしいことですが、自分以外の誰かと比べて速く走れることに何の意味もありません。もちろんランニングを仕事にしている人たちは別ですが、一般のランナーにとって速さは個性のひとつでしかありません。
ときどきフルマラソンをどれくらいで走れるかでマウントを取ろうとする人がいますが、自分の人格を貶めているだけなのでやめておきましょう。サブ3で走れたからといって、人間としての優秀さや魅力とはまったく関係ありません。
もちろん速く走れて人格的にも優れているなら、その人は周りからも尊敬される存在になります。でも速く走れるだけで、それを自慢気に語る人は誰からも距離を置かれてしまいます。そうならないために、それぞれの個性を尊重するランナーを目指しましょう。
タイムでランナーを評価するのではなく、その人がどれだけ頑張ったのか。どれだけの練習を積み重ねてきたのかを大切にする。周りの人が自己ベストを更新すれば一緒になって喜び、残念な結果になっても、きちんと準備をしていたならそれを褒める。そういうランナーを目指しましょう。
速い人もいて遅い人もいてランニングの世界は成り立つ
速く走れる人からすれば、スピードが遅いランナーは邪魔な存在かもしれません。公園の周回コースや皇居周りでも、遅いランナーがいることにストレスを感じている人もいますよね。でも、そんなスピードランナーも、他のランナーから疎まれています。
猛スピードで接近してすれすれを通って追い抜いていく。ゆっくり走っているランナーからすれば恐怖でしかありません。問題なのはこの2つのタイプのランナーがいがみ合うこと。私たちが目指さなくてはいけないのは、お互いを尊重し合うということです。
速いランナーもいて遅いランナーもいて、ランニングの世界は成り立っています。どちらかだけではランニングの世界は成立しません。幅広い層がいるから企業はそれをターゲットにして新製品を開発したり、サービスを提供してくれます。
マラソン大会が開催されるのも、速い人や遅い人を合わせてそれなりの人数が集まるから。トップランナーだけの大会というのもありますが、これが成立するのはある一定のランニング人口があるからで、一般のランナーという裾野があるから開催できます。
自分がランナーとして存在できるのは、自分以外のランナーがいるからです。だから、それぞれの存在を尊重し合う必要があります。
危険な追い抜きはせずにスピードを落とす強さ
ひとつのランニングコースに速いランナーも遅いランナーもいる。この状況でそれぞれがストレスに感じることなく走れるような環境を作る必要があります。ただ、それはルールというものではなくマナーのようなもので、各自が心がけなくてはいけません。
例えばスピードが速いランナーが、遅いランナーを追い抜くときには、十分な距離を確保しつつもスピードを落とし、反対にゆっくり走るランナーは歩道の真ん中に陣取らずに、左右どちらか(基本は左)に寄って走り、追い抜いていく人は走りやすくする。
こういったちょっとした気遣いがあれば、速いランナーも遅いランナーも共存できます。追い抜くときにスピードを落とすとタイムが出せないじゃないかと思うかもしれませんが、そこで数秒ロスをしたところで何だというのでしょう。
周りに気遣いながら走れないのであれば、誰もいない場所を見つけて走るべきです。多くのランナーが集まる場所で走りたいなら、周りへの気遣いを忘れてはいけません。追い抜くときにスピードを落とせないのは精神的な弱さの現れです。
どんな状況にも動じることない強いランナーになりたいなら、しっかりと周りを見て余裕を持って走りましょう。スピードを出してはいけないとは言いません。でも自己中なランナーになってはいけません。それは他の人のためではなく自分自身のために。
まとめ
ランニングはとても自由なスポーツです。誰でも簡単に始められます。ただ1人で始められるスポーツということもあり、より高みを目指していく過程で、どうしても利己的になりやすいといった欠点があります。
自分だけが正しい。自分以外のやり方は間違っている。もしそういう気持ちがほんの少しでも自分の中にあるのなら、少し考え方を変えてみましょう。自分以外のランナーがいるから、自分がランナーでいられる。私たちはお互いに必要な存在なのです。
だから他のランナーを尊重する。強引な追い抜きをせずスピードを緩める。狭い道をゆっくり走るなら左右どちらかを開ける。そういったお互いの気遣いがあって、ランニングの世界は成立します。いくら速くても心が未熟ではいけません。
スポーツとは自分の運動能力を高めるだけでなく、自分の心の鍛錬も行うものです。自己中心的な考え方は捨てて、周りと協調してみましょう。そうやって心も強くすることができれば、走ることがもっと好きになるはずです。